起業のことよりもアイデアのことを考えろと言いたい。「会社を作れるほど大きな問題か?」なんて気にせず、単に問題と思った点を修正してほしい。その道を進み続ければ、最終的に多くの人々が欲しがるようなものを作らないほうが難しい。そしてそれを作ると、驚くことに自分の会社ができている。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「自然発生的な起業のアイデア」 - livedoor Blog(ブログ)私の知人のほとんどはネット中毒だ。みんなネット中毒から逃れるために、自分の習慣を見直している。たとえば私がiPhoneを持っていないのは、ネット中毒から逃れるためだ。外にまでネットがついてくるなんて絶対に避けたいからだ。[5] 私の最新の工夫は、長い散歩をすることだ。以前は時間が短くて済む分、ウォーキングよりもランニングの方が良い運動だと思っていた。今では、その遅さがウォーキングの利点だと思える。田舎道で過ごす時間が長いほど、長いあいだ邪魔されずにものを考えることになるのだから。
変人っぽいだろ? 解決しようとしている問題に関して助けとなる慣習がまだないうちは、どうしても変人っぽく見えてしまう。この点でオッカムの剃刀を主張することはできないかもしれず、ただ本当に私が変なだけなのかもしれない。しかし中毒性の加速が正しければ、中毒を避けるための、このような個人的な努力は、何かを成し遂げたいと思う人には必須となるだろう。今後ますます、何を拒否するかが自分が何者になるかを決めることになるだろう。
誰かがあなたを傷つけたら、あなたは2度、傷つく。最初はその傷で、2度目は自分の傷のことを考えることで。傷つけられても気にしないようにできれば、少なくとも2度目の傷は避けられる。不快なことも「こんなことに頭を占めさせるのはもったいない」と自分に言い聞かせることで、ある程度は忘れることができると私は知った。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「真っ先に心に浮かぶアイデア」 - livedoor Blog(ブログ)でも一番いいのは、「変なことをしている」とみんなが言ったときだ。私は人生でずっとこの言葉を言われてきた。また、私は最近、それは実はホーミング・ビーコンの音だとわかってきた。「変な」は無意味な批判だ。それは単に「私はそれが好きじゃない」の形容詞にすぎない。
だからそれは、変人にとって最高のゴールであるべきだと私は思う。変になろう。人々にそう言われたら、あなたは光り輝いている。ついでに言えば、そう言った奴らは終わってる。
ハックによって問題をなんとか解決できるかもしれないし、ぜんぜん問題を解決できないかもしれない。でも途中で何か別のものを発見するだろう。それでいいんだ。最初のバージョンは、何かそのものではなく、その道しるべなんだから。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「変人の力」(下) - livedoor Blog(ブログ)責任は優秀さの職業病だ。原則としては、年をとっても太らずに済むのと同様、優秀でも責任なしでいられる。でもほとんどの場合は不可能だ。私は時々、責任は罠みたいなもので、最も正しい対応法はそれから逃げ回ることだと思う。しかし不注意であれば、どっちにしろ責任によって制約される。
もちろんアウトサイダーであろうと制約される。たとえば経済的な制約だ。だが責任以外の制約は制約の仕方が違う。責任はあなたをどう制約するのだろうか。最悪なのは、責任によって、自分の本当の仕事に注目されずに済んでしまうってことだ。ちょうど、あたかも仕事をしているように見える作業が最も危険な種類の後回しになるのと同じで、責任の危険は、それに追われてまる一日過ごしても、公園のベンチでぼーっとしていた時に感じるような危機感を感じなくて済むってことだ。
アウトサイダーは、自分の後回しに気づかされるという大きな痛みがある。でもこれは、本当はいいことなんだ。いい匂いをかぐとお腹がすくのと同じで、少なくとも仕事に近いと気づくことができる。
アウトサイダーであるということは、何かをすることから、単に一歩、離れているにすぎない。たしかに大きな一歩で、ほとんどの人は踏み出さないんだが、でも、たったの一歩なんだ。もし始める熱意を奮い起こすことができれば、ほとんどのインサイダーに匹敵するものがいないほどの強い感情と高い質でプロジェクトに取り組める。インサイダーの仕事は、責任と期待がつきまとうため、義務になってしまう。それは若かったころほど純粋ではなくなっている。
鋤につながれている牛ではなく、散歩に連れられている犬のように働こう。それが年を取って有名になった人が失ってしまうものなんだ。
小さいものを作るのはとても面白い。大きなものはたいていバグがあるが、小さなものは完全にできる。しかも小さなものには、そんな合理的な説明をも越える魔力がある。子供は誰でも知っているが、小さなものはより個性的なんだ。
さらに、小さいものを作るのは楽しい。好きなことができ、委員会の許可もいらない。そしてたぶんいちばん重要なのは、小さなものは素速く作れるってことだ。完成した仕事を思い浮かべるのは、夕食の料理の匂いをかぐようなものだ。がんばれば、もしかしたら一晩でできるかもしれない。
さらに、小さなものを作るのは、いい勉強になる。ひとつのプロジェクトにつき一つだけ大事なことが学べる。(次はこんなヘマはしないぞ・・・)プロジェクトを次々と回転させるほど、あなたも次々と進化するだろう。
専門化する相手と競争する第2の方法は、専門化が何を見落とすか見極めることだ。これは特に新しい物事についてあてはまる。まだ得意なものが何もないなら、うんと新しくて、誰もそれが得意でないような分野に取り組んでみよう。誰もそれが上手でないなら、その分野での有名人もまだいないだろうから、あなたがすべてを独占できるだろう
ふつう新しいメディアの可能性は、過小評価される。誰もまだ可能性を追求していないからだ。デューラーが版画を作るまで、誰も版画をたいして真面目に考えていなかった。版画はちょっとした敬虔な絵を作るものだった。要は15世紀の聖人版のベースボール・カードだ。このメディアで傑作を作ろうとするのは、デューラーの同時代の人にとっては、たとえば現在の一般人にとって、マンガで傑作を書くのと同じように見えたに違いない。
コンピューター界では、新しいメディアではなく、新しいプラットフォームとなる。ミニコン、マイクロプロセッサー、ウェブ・ベースのアプリケーション。最初のうちはいつも、「現実の仕事には適さない」と片付けられる。でも常に誰かが、もう少しがんばってみようと決め、みんなが期待する以上のことができるようになる。だから、将来人々が新しいプラットフォームについて、「うん、広まってきたし安くなったけれど、まだ実用には届かないな」と言っているのを聞いたら、それに飛びつこう。
ある人がいったん何かに熟達すると、そればっかりをして過ごすことになりがちだ。この種の集中は、たしかにすごく価値がある。専門家の技術の多くは、誤った道を切り捨てる能力だ。しかし集中には欠点もある。他の分野を学習しないし、新しいアプローチにも気づかない。
アウトサイダーは、このことから勝つ方法を2つ導けるだろう。1つはいろんな仕事をすることだ。狭い領域に集中することで(まだ)多くを得られないなら、大きな網を投げて、いろいろな領域の共通点からできるだけ多くを引き出してみたらどうだろう。上流・下流の仕事も自分でしてしまうことで、仕事を委任してしまう相手と競争できるのと同じで、より幅広い仕事をすることで、専門化する相手と競争できるんだ。
アウトサイダーは、自分がいる位置のメリットをよく知っておくべきだ。「冒険できる」っていうことはすごく貴重なんだ。凡庸な人も優秀な人も、みんな安全性をあまりに重視しすぎる。誰もバカに見られたくはないだろうが、でもバカなこともできるってことは、すごく重要なんだ。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「変人の力」(上) - livedoor Blog(ブログ)間違った人選、手の広げすぎ、臆病、真面目ぶりっこ、期待の重圧、既得権、愚かな大衆。でもたぶん最も危険なのは、そのような仕事は、楽しみよりも義務になりがちだってことだ。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「変人の力」(上) - livedoor Blog(ブログ)彼らは、ホンモノの会社がほとんど持っていないものを既に持っていた。驚くほどよく設計された製品だ。あなたは、彼らがもっと自信を持っていたんじゃないかと思うだろう。でも私は多くのベンチャー企業家と話したけど、いつもそのようなものだ。世界を一変させるようなものを作っているのに、「まともな名刺を持ってない」とか、ごくつまらないことを心配していた。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「変人の力」(上) - livedoor Blog(ブログ)欲しいものがもう決まっているなら、Bountiiで最安値を調べることができる。だが何を欲しいかを、どう決めればいいだろう?
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「私たちが投資したいベンチャーのアイデア」(下) - livedoor Blog(ブログ)次の文章から始めよう。「だれかが○○を作ってくれたら、喜んで金を払うのに」。○○に入るものなら何でも、たぶん良い製品のアイデアだ。
– らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「私たちが投資したいベンチャーのアイデア」(上) - livedoor Blog(ブログ)