責任は優秀さの職業病だ。原則としては、年をとっても太らずに済むのと同様、優秀でも責任なしでいられる。でもほとんどの場合は不可能だ。私は時々、責任は罠みたいなもので、最も正しい対応法はそれから逃げ回ることだと思う。しかし不注意であれば、どっちにしろ責任によって制約される。
もちろんアウトサイダーであろうと制約される。たとえば経済的な制約だ。だが責任以外の制約は制約の仕方が違う。責任はあなたをどう制約するのだろうか。最悪なのは、責任によって、自分の本当の仕事に注目されずに済んでしまうってことだ。ちょうど、あたかも仕事をしているように見える作業が最も危険な種類の後回しになるのと同じで、責任の危険は、それに追われてまる一日過ごしても、公園のベンチでぼーっとしていた時に感じるような危機感を感じなくて済むってことだ。
アウトサイダーは、自分の後回しに気づかされるという大きな痛みがある。でもこれは、本当はいいことなんだ。いい匂いをかぐとお腹がすくのと同じで、少なくとも仕事に近いと気づくことができる。
アウトサイダーであるということは、何かをすることから、単に一歩、離れているにすぎない。たしかに大きな一歩で、ほとんどの人は踏み出さないんだが、でも、たったの一歩なんだ。もし始める熱意を奮い起こすことができれば、ほとんどのインサイダーに匹敵するものがいないほどの強い感情と高い質でプロジェクトに取り組める。インサイダーの仕事は、責任と期待がつきまとうため、義務になってしまう。それは若かったころほど純粋ではなくなっている。
鋤につながれている牛ではなく、散歩に連れられている犬のように働こう。それが年を取って有名になった人が失ってしまうものなんだ。
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POSTED Sunday January 29th